記事投稿日 : 2020/08/07 ひとり言

塾長のひとり言 「わかる」と「できる」は別物!

「わかる」≠「できる」

自分ひとりで何かをしているときの「わかる」と「できる」は、似ていることが多い。                                   例えば、職場から自宅への道なら「わかる」し、実際に帰ることが「できる」。 料理に慣れた人なら「この調味料を入れたらこんな味になるよな」と「わかる」し、実際その通りの味の料理が「できる」。

注意しなくちゃいけないのは、誰かに聞いたり何かを見たりして「わかった」とき。ここで「わかる」だけでなく「できる」気になってしまうと、いざ本番!というときに痛い目に合ってしまう。

人から道を聞いて「わかった!」となっても、実際に目的地に行けるかどうかは別だ。                                   クッキングの本を見て「わかった!」となっても、その料理が美味しく作れるわけではない。

勉強だってそうだよね。

「わかった」=「できる」ではない。

でも、多くの場合、人はそれを「できる」としてしまう。ただの「わかった」なのに「できる」と勘違いしてしまう。

思い当たる節がある人もいるんじゃないでしょうか。

「よーし、わかった」となった問題が、いざやろうとしたら「あれ?できない」。参考書を見たり、先生に聞いたりして「わかった」のに、テストになったら「できない」。

でも、それはあなたが悪いんじゃない。あなたが馬鹿だからでもあなたに能力が無いわけでも決してない。それに落ち込むことでもない。だって、当たり前のことなんだから。

それが起こるのは多くの場合、「わかる」と「できる」の勘違いが原因なんだ。その勘違いに気付ければ、そんな恐ろしい現象を減らすことができる。

行くことができる気になって、地図もなくドライブに出かけることもないし、できる気になって料理を作って食べ物を粗末にすることもない。

そして、あなたの頭の中がテスト中に真っ白になることもない。

すべては「わかった」と「できる」の勘違いが原因。

課題さえ分かれば、解決策は簡単。

「わかる」を「できる」にするには?

この勘違いをどうやってなくせばいいのか、答えは実に簡単で明確です。

「わかる」を「できる」にするには、繰り返すしかない。

もちろん最初は失敗するかもしれない。1回目や2回目は、自分自身の勘違いに気付くと思う。道に迷ったり、失敗作に出会ったり、問題が解けなかったり…。「できる」と思っていたことが、ただの「わかった」もしくは「わかってもいなかった」だったことに気付くと思う。そしてここから大事。解決策はここから先にある。何回地図を見てもいい。何回調べてもいい。何回聞いてもいいし、何回解き直してもいい。

3回4回5回…何回も何回も「わかった」を積み上げていくと、その先にそれはもう素敵な出会いが待っている。何回目かの挑戦の向こうに、最初の「できた」が両手を広げてあなたを待っている。

最初の「できた」に出会えたら、胸を張っていい。誇っていい。それは紛れもなく、あなただけの「できた」だ。誰がなんと言おうとあなただけのものだ。

最初の「できた」は、また同じことをやってみて新しい「できた」に出会う度に強い「できた」に成長していく。ある程度成長が進むと、「できる」は進化して「もっと簡単にできる」や「早くできる」になっていく。

例えば、九九なんかはもうあなたの中でだいぶ進化しているんじゃないかな。

それが「わかった」「できた」の繰り返しの効果です。すぐに思い出せてすぐに使える知識。説明できて応用もできる武器。とても頼もしい味方になってくれます。

「わかった」→繰り返し→「できた」→繰り返し→「もっとできる」

このプロセスを忘れなければ、勘違いで失敗することは自然と減っていくはず。そして、目標達成に近づきやすくなるよ。

「わかった」と「できた」は別物で、どっちもとっても大事!

これを意識して、学びを進めてください。

「できる」を先に手に入れると…

言いたいことは言い切ったけれど、折角だから勉強のことについてもうちょっとだけ話をしていきます。ちょっとマニアックな内容です。

小学校や塾などで、速さを「はじき」、割合を「くもわ」で教えることがあります。いわゆるテクニックというものです。

他にも、テスト前に過去問を使ったり、「これはこうで」と答えの出し方を教えたり…。とにかく、長い長い勉強人生の中で、本質を飛ばしてテクニックで「できる」を手に入れることはある。

それはつまり「わかる」のない「できる」です。特に本質自体が難しいものの場合、そっちの方がテストや入試の点数という成果を効果的に出せる場合が多いのも事実です。

「できる(テクニック)」から入って、本人の中に受け皿ができたその後に「わかる(本質)」を伝えることが有効なときもある。順番を変える感じ。

結局のところ、本質もテクニックもそれ自体が良いとか悪いとかって言うよりは、使い方が大事なのです。

しかし、「わかる」のない「できる」が続くとどうなってしまうのか、僕の考えはこうです。

「わかる」のない「できる」は、もろい。応用も利かないし、説明もできない。そして楽だから、考えない癖が付いてしまう。本質を無視するようになってしまう。面倒くさいから。時間が掛かるから。大変だから。

そして、何よりそれは、「わかる」が本来持っている楽しみを見失わせる。「わかる」が持っている楽しみ、それは【学ぶ楽しみ】です。知識を得るって、本当はとても楽しいこと。それを見失ったら、勉強はどんどん楽しくなくなっていく。

「わかる」喜びは、学びを深めていきます。僕は生徒たちの「わかった」瞬間の顔が本当に好きだ。きっと彼らも自分の「わかった」が大好きだろう。「わかる」は中毒性が強くて、大きなエネルギーの源になる。それを見失ったら、自分から放棄してしまったら、勉強は辛い以外何物でもくなってしまう。

ちなみに、「できる」喜び、自己効力感を高め能動的な行動につながる。「できる」を増やせば、手や足は動きやすくなる。

「わかる」と「できる」はどっちかだけじゃない。どっちも大事なんだ。

随分長くなりましたが、「わかる」と「できる」についてでした。あくまで個人的な意見であることをご了承ください。

本日も出雲市の個別指導塾 すずかけの木にお越しいただきありがとうございました。