「犬を触れないでください」
確かに日本語としてはなんだかおかしさを感じるけれど、まぁ、意味は伝わる。そして謎の「こういち」というシール。名前か?それとも高校1年生の文法ってことか?」う~ん、謎は深まる一方・・・。
この謎を解明するのが今回のテーマではありません。あれだけセキュリティの厳しい空港でも、言語に関しては寛容なのです。僕たち個人個人も、もしかしたらもう少し言葉に寛容になってもいいのかも。特に言語習得に関してはそうじゃないかな。
というのが今回のテーマです。
言語習得はチャレンジの回数が大事
「英会話に毎週通ってしゃべれるようになった友人を見たことはないが、海外に滞在して3ヶ月で英語を話せるようになった友人をたくさん知っている」
とは、とあるTVのベテランコメンテーターの言葉です。言い得て妙ですね。
なんでもそうですが、上達への近道はやっぱり「やること」。そして、その「やること」を習慣化するという観点で考えれば、日常レベルに落とし込むことが一番の上達方法になりますね。
リスクが無かったり、少なかったりするならば、何回でもチャレンジするほうがいい。野球に例えると、打席に立てば立つほど、ヒットやホームランを打つ確率は高くなる。もしも、打率や三振や凡打の数を気にしなくていいなら、打席にはなるべく多く立つ方がいい。
言語だって同じですよね。
そこでチャレンジの邪魔をする「リスク」について話をしておきましょう。
チャレンジを邪魔するもの
言語習得の邪魔をする一番の要因は、「失敗を恐れること」です。
それは言い方を変えれば、「落ち込み」「痛み」「面倒くさい」や「恥ずかしさ」だったりします。いざ日常の中で英語を話そうという場面が来ても、多くの人は尻込み、そのチャンスをふいにしてしまうでしょう。
それはこんなことが頭をよぎるせいかもしれません。
例えばトイレに行きたいとき、「I go restroom」と言えば、意味は何となく伝わります。しかし、誰かがこう言います。「それ、文法的におかしいよ」、あるいは「その単語はこうだよ」や「複数形がね・・・」や、挙げ句の果てには「発音がね・・・」と指摘が始まります。チャレンジをしない者が、チャレンジした者をなぜか叩き始めるのです。
これがチャレンジする際の「リスク」です。
でもね、思い出してみましょう。誰もが日本語を覚えてきたときのことを。
「ママ」「パパ」「ワンワン」と子どもが言葉を覚えていく過程で、「いや、あれはワンワンじゃなくて犬だから」と指摘されることが正しいと言えるでしょうか。そんなことを続けていたら、子どもは言葉を話さなくなってしまうでしょう。
もちろん、テストなどの場合は正解か不正解かはっきりさせることも大切です。ビジネスの場であったり、目上の人と話すときに失礼のない振る舞いをすることも大事です。
でも、世の中には正しい言葉を使うよりも大事なことが他にある、こういったタイミングのほうが多かったりします。コミュニケーションで最も大切なのは、伝わるかどうか。だから、伝えるほうも、聞くほうも、寛容になりましょう。でなければ、楽しくなくなってしまいます。楽しくないことはやらなくなって、結果、チャレンジの機会がどんどん減ってしまいます。上達は見込めません。
文法や単語のミスは、間違えてから直せばいい。発音なんて国によってもバラバラで、a dogを「アドッグ」と読む人もいれば、「エイドッグ」と呼ぶ人もいる。そんなところで立ち止まるのはやめて、もしも新しい言語を話したいと思うなら、踏み出そう。
必要なのは、勇気一つ。ちっぽけな「リスク」は捨ててしまえばいい。それに、ノンバーバル(非言語的)なコミュニケーションが7割以上って言われるくらいだから、バーバル(言語的)なコミュニケーションがいくら下手くそでも、表情や身振り手振りでも多くのことは伝わるもの。
失敗は笑い飛ばせばいい。チャレンジしないことが間違いだと思えたらいい。話してて思ったけど、それは何も言語だけの話ではなくて、人と人が繋がるときには、いつだって、小さな勇気が必要になるものなのかもしれません。
チャレンジしよう。君が望むなら、それは決して悪いことなんかじゃない。
本日も出雲市の個別指導塾 すずかけの木へお越しいただきありがとうございました。それは生き方につながる。