「時間が足りない」
誰もが言ったことがあるセリフではないだろうか。
1日は24時間。
誰にとっても平等で、有限。
勉強でも、仕事でも、プライベートでも、時間を上手に使うことは大切です。
でも、どんな風に使えば「上手に使えた」ことになるのでしょうか。
これから紹介する、ある大学の実際の講義の内容が、1つの道標になるかもしれません。「壺」というお話です。早速どうぞ。
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ある大学でこんな授業があったという。
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。
壺がいっぱいになるまで詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」と言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利を取り出した。そして砂利を壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。
そしてもう一度聞いた。「この壺は満杯か?」 ・・・学生は答えられない。
一人の学生が「多分違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれでいっぱいになったか?」 学生は声を揃えて、「いいえ」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。
教授は学生に最後の質問を投げかける。「僕が何を言いたいのか分かるだろうか」
一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しいときでも、最大限の努力をすれば、いつでも予定を詰め込むことは可能だということです」
「それは違う」と教授は言った。
「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私たちに示してくれる真実は、大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないということなんだ」
「君たちの人生にとって“大きな岩”とは何だろう」教授は話し始める。
「それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、過程であったり、自分の夢であったり…。」
「ここで言う“大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。それを最初に入れなさい。さもないと、君たちはそれを永遠に失うことになる。もし君たちが小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから、自分の壺を満たしていけば、君たちの人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。」
「そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体を失うだろう。」
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人生の時間は誰もが限られています。
でも、誰もがどこかで、明日が来ると信じ、きっとそれと同じように5年後や10年後が来ると信じているでしょう。
いつでも未来は信じられていて、その結果、僕らにとって大切なものが後回しにされることもあるかもしれない。
僕らは気づかなくちゃいけない。
残り時間はいつだって限られているということに。
「壺」の中身が他のもので埋まってしまう前に。
人生となると、少し壮大すぎて難しいですが、「壺」を勉強や仕事に置き換えると、もう少し大事なものが見えてきます。
テストまであと1ヶ月。最も大切な「テスト勉強」を、本当は一番先に計画をしなければ(時間を取らなければ)ならないのに、それが出来ているか。部活や遊びや、その他の予定を優先していない。
仕事において、自分が出さなきゃならない成果を出すための、最も可能性の高い行動に多くの時間を割けているか。
私自身もある上司から言われたことがあります。「成果を出したいのなら、成果の出る行動をたくさんすればいい」
なるほどその通りです。
天才ジョブスは、こんな名言を残しています。
If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?
もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは本当に自分のやりたいことだろうか?
そうは言っても…、という言葉が頭をよぎりましたが、いや待てよ、と自分を奮い立たせました。
勉強にも、仕事にも、そしてきっと人生にも役立ちそうな、「時間の使い方」。
どうしたら自分の好きなことに時間を使えるのか。邪魔な時間を削れるのか。早く色々出来るのか。シンプルでスピーディーな考えや方法はあるのか。
一人ひとりに平等であるならば、時間の使い方を極めたものが、勉強も仕事も人生も極める!…はず(たぶん)。
本日も出雲市の個別指導塾 すずかけの木へお越しいただきありがとうございました。あなたにとって“大きな岩”とは何ですか。