
ふと、ある小学生の子を思い出しました。
「あちゃー」というお茶目な声を出して、失敗を悔しがっている小学生のことを。
講師が「お、無事に戦いを終えましたか」と声を掛けると、
「負けたけど、勝った!」という謎の名言を残していました。
講師が「じゃあなんで負けたのか説明して」と言うと、しどろもどろになっていましたが。
そんな前置き的な彼の状況はさておき、その名言について少し想いを巡らせてみようと思った次第です。
「負けたけど勝った」ということが、この世の中にどれくらいあるのだろうか、そう言えばよく「勝負に勝って試合に負けた」みたいな言い回しがありますよね。
ちょっとその意味を確認してみましょう。
《単純にその場で決した勝ち負けという点では負けているものの、お互いの心理的な面や体裁、または争いが収まった後の状態まで含んだ大局的な視点から見れば勝利したと言えるという意味の言い回し》
この「大局的な視点」というワードが光って見えますね。
例えばスポーツの試合において、ズルっぽいことをした相手に正々堂々と挑んで負けたけど、その健闘を周りから称えられた場合なんかは、「勝負に勝って試合に負けた」と言えそうです。
M-1やキングオブコントなんかの番組で優勝できなかったけどブレイクした、みたいなやつもそうですかね。
なるほど、何となく意味が掴めてきました。
それでは、ここから本題。
勉強においての「勝負に勝って試合に負けた」も見つけてみましょう。
勉強における試合と言えば「受験」です。受験に負けたけど、勝負に勝つということはあり得るのでしょうか。
僕個人としては、ある、と思っています。
ここは賛否両論あるところだと思いますので、慎重に言葉を選んで話しますが、もしも考え方が違うという場合は、「あーこういう考え方の人もいるのかぁ」と流していただければ幸いです。
では、ある、というのはどういう場合のときでしょうか。
それは、合格に向けて必死に頑張ったけど残念ながら結果が伴わなかった。けれど将来ちゃんとその経験が役に立ったという場合です。それは(いないと思いますが)ズルをして合格したことよりも、ずっとずっと価値のあることだと思います。
試合(受験)には負けたけど、勝負(人生)には勝った、ということですね。
そりゃ試合にも勝負にも勝てたら最高です。でも、受験の仕組み上、試合に勝つ者がいれば、負けてしまう者がいるのも当然です。でも、負けたとしてもその精一杯やったという経験を活かして、勝負には勝てるかもしれません。
だから、試合結果がどうなったとしても、今頑張ることに無駄はないわけです。全身全霊で最高の結果を狙いましょう。それが、試合だけでなく勝負で勝つ上でも大切な要素になります。
今頑張れば、たとえ試合(受験)で負けたとしても、勝負(人生)には勝てるかもしれない。
何を持って勝ちとするかどうかは曖昧ですが、大局的な視点で「よかった!」となれたら勝ちということです。
改めてもう一度。
今必死で頑張る。それだけしておけば、どんな未来においても勝ちにつながる可能性が高まる。
「結果が不安で手が動かない」は、試合でも勝負でも勝てなくなる、とんでもない悪手だということです。
不安だからこそ、手を動かそう。君自身の「勝利」のために。
本日も出雲市の個別指導塾 すずかけの木へお越しいただきありがとうございました。