生徒たちからもよく出る「わかりませんでした」という言葉。
一番気になるのは、宿題をやってこられずに出てくる「わかりませんでした」ですかね。もちろん、わからないこと自体は悪いことではありません。でも、その姿勢が気になるときがあるのです。
それは「わかりませんでした」と言っておけばいいでしょ、みたいな姿勢のときです。それなら仕方ないでしょ、的な雰囲気をまとっている「わかりませんでした」です。面倒くさいの代わりの「わかりませんでした」です。これは撲滅したいです。
例えば、これがゲームだとしたらどうでしょう。とりあえず調べますよね。今の時代はネットがあればすぐに調べられますし、攻略本だって自分から読みますよね。
勉強で言えば、前の勉強法やノートでやったことしか基本宿題には出していませんから、一度は理解して解いているはずなわけで、調べる術や理解しようとする方法はいくらでもあるはずなのです。
でも、調べない。それはつまり「必要性」を感じていないってことですよね。では逆に、「必要性」が感じられないものを勉強して意味があると思いますか?成長していくと思いますか?なんて、ちょっと詰めてみました。
折角勉強するわけですから、その勉強することに対して、「必要性」を感じて欲しいのです。もっと貪欲に、ワクワクと、成長を目指して欲しいのです。受身ではなく、能動的に勉強に取り組んで欲しいのです。
やらされるんじゃなく、やる。その姿勢が見たいのです。
それができれば、、間違いなく成長していきます。本当だよ。
本日も出雲市の個別指導塾 すずかけの木へお越しいただきありがとうございました。