記事投稿日 : 2020/09/28 ひとり言

塾長のひとり言 悪いことが起こったときに誰かや何かのせいにしている人に成功は訪れない

今回は、厳しい表現になってしまいましたが、自分への戒めなので、誰かのことを思って話しているわけではありません。

これから先、僕自身が生徒たちの指導に活かすとともに、生徒たち自身にも知って欲しい考え方。そのことを踏まえて、聞いていただければ幸いです。

今回のテーマは、「他責」と「自責」についてです。

大切なのは「他責」ではなく「自責」の考え方

何か悪いことが起きたとき、嫌な目に遭ったとき、どんな考え方をするのか、それを大きく分けて「他責」と「自責」の2つに分けて話を進めます。

道で躓いたとき、なんでこんなところに石があるんだよと怒る。失敗したとき、「教えてくれなかったからだ」と誰かを責める。楽しくなかったとき、「周りが話しかけてくれなかったから」と拗ねる。期待していたものをやってくれなかったとき、「なんでできないんだよ」詰める。

こういった考えが「他責」です。他人に責任を求める、という意味ですね。

格好良くないと思っても、僕自身もやっちゃうときが多々あります。イライラしているときや弱っているときが多いですかね。攻撃する対象ができて一瞬はスカッとするかもしれませんが、大体後で反省します。

やっぱり理想は「自責」です。自分に責任を求める、ということですね。どう変わるか観てみましょう。

道で躓いたとき、どうして自分はこんなに小さな石に躓いてしまったのだろう?と体調を疑う。失敗したとき、どうしたら上手くいったか反省する。楽しくなかったとき、「もっと準備をして、こんな話題を用意しておくとよかったな」と糧にする。期待していたものをやってくれなかったとき、「どんな伝え方をすれば結果は変わっただろう」と考える。

こんな風に、「自責」のいいところは、次に向けて活かせるということです。「他責」にしていてはなかった成長が「自責」では驚くべきスピードで生まれます。

「自責」のコツはネガティブになりすぎないこと。自由な発想や「次に活かそう」というポジティブな考え方前提での「自責」が大事です。

嫌なことや失敗は誰にでもいつでも訪れます。それと向き合うときにいちいち凹んでいたら、人間、身がいくつあっても足りません。また、ちょっと強引か、ぐらいの「自責」であれば、考えているうちに笑えてきます。

「雨が降った。昨日てるてる坊主を吊しておけばよかった。」

ね。でも、これはこれで思考のトレーニングになります。起こった結果から、逆算して、どうすれば結果を変えることができたかを考える。思いを巡らしてみる。そこにはまた成長が生まれます。

じゃあ「自責」にするには?

ここまでで、お分かりの方もいらっしゃるかと思いますが、「自責」の考え方をするには、心に余裕がなければいけません。

適度な自己効力感を持ち、健康であること。これが「自責」をする上での条件になるでしょう。疲れているときはついついネガティブになりがちですからね。

心地良い生活リズムや、自分自身の体調に心を配りましょう。また、「自分は自分。そんなに悪い人間じゃない」くらいは常に心に置いておきましょう。でないと、「自責」が次に活かせない「自責」になってしまいます。

「自分は駄目だ」「どうせ何にもできない」なんて考えは、考えるだけ無駄です。悲劇の主人公ぶるのはときに心地良いですが、成長を止め、自己効力感をどんどん低くし、結果何にも良いことを連れてきてはくれません。

私は私は。僕は僕。人生は楽しいし、一人じゃない。そんな当たり前のことを、ちゃんと踏まえた上で、「自責」しましょう。もしも今自分が嫌いなら、好きになるようにしてみたらいいだけです。人はいつでも変われて、心はいつだって自由ですからね。

そんなことを忘れそうになったら、いつでもおいでね。

まとめ

なんだか説教くさくなってしまいましたね、何度も言いますが、自分自身へ向けて注意しているようなものですので、ご理解ください。自責中です。

さぁ、まとめます。

「他責」よりも「自責」がいい。わかっちゃいるけどやめられない。だから、心と身体の健康を大事にしよう!

というお話でした。

「自責」ができる人は、成功からも失敗からも学べるわけですから、そりゃぁ成長スピードもはやいですよね。

生徒諸君。「計算ミス」や「読み間違い」も自分自身の責任として捉えて、その理由を解明していくことが成長につながるんだよ。

塾はね、その方法を伝える場でもあり、君たちの心のエネルギーを育てたり充電したりする場でもあるんだ。

本日も出雲市の個別指導塾 すずかけの木へお越しいただきありがとうございました。説教みたいなお話を、ここまで読んでいただいたあなたに感謝申し上げます。