記事投稿日 : 2024/02/02 ひとり言

勉強でも大切な「相手になってみる」という考え方

こんな言葉が載っていました。糸井さんの日々のコラムから抜粋です。

 

問いそのものを考え出すことのほうが、
問いに対しての答えを出すこと以上に、大事なことだ。
と、よく言われるようになりました。
そうですね、すでに答えが出ている問いについて、
「ぼくにも正解が出せます」でほめられるのは、
学生の時代までかもしれません。
現実の社会って、問いが見つけられなかったり、
だれにも答えがわからなかったりすることばかりですから。
 
問いを見つけるのは、ほんとうに大事なことです。
みんながほんとは要らない答えを必死で探しているとき、
「問いそのものがちがうんじゃないか」と言えるのは、
なかなかむつかしいことですが。
問いを見つけることは、練習ができると思うのです。

ぼくが思うには、問いの世界へのカギは、
「じぶんだったらどうするだろう?」という問いです。
なんでもいいんです。じぶんに関係ないことでいいのです。
たとえば、いま新聞を読む人が少なくなってますよね。
それについて「そりゃそうだ。ぼくも読んでないもの」とか
「いまごろ新聞読んでるのは年寄りだけだよ」とか、
「高いよ」とか「めんどくさい」とか、
いろんなことは言えますが、それはただの平凡な感想です。
そこに「問いがない」のはよくわかりますよね。
さて、「じぶんだったらどうするだろう?」を入れます。
いっそ、そのじぶんを「新聞社をどうにかできる立場の、
とてもえらい人」であると仮定しましょうか。
あなたは、読売でも朝日でもいい、新聞社の社長です。 
新聞を読む人が減っているという事実と直面しています。
社長、これからどうしましょうか?
ここで、すぐに「こうすりゃいいんだよ」という
万能薬みたいな答えが出てくるとは思えません。
でも、それはそれでいいんです。
ほんとうの社長だって重役だって、きっとすごく真剣に
考えていると思うけど、うまくは行ってないようですから。
「いまどき新聞なんて古いよ」と言ってたときよりも、
社長になったほうが、わからないことが増えてるでしょう。
わからないことがあるから、問いが生まれるわけですよね。
「どうして?」でも「どうする?」でも考えざるを得ない。
これ、けっこういくらでもできる練習なんですよね。

 

これって勉強でも同じですよね。

あえて改まった言い方をしますが、生徒諸君。

もしもあなたがテストを出題する側だったら、と少し考えてみましょう。

あなたがテスト作成者なら、今回のテストで、何をどんな風に問いたいと思うでしょう。ここは引っかかりそうだな、ここは絶対に知っておいてほしい、ここには難問を一つ、なんて、ちょっと先生気分になってテストを想像してみましょう。

そして、テストの日が答え合わせ。「なんだ、この先生センスないな」なんて分析できるようになったら一人前かもしれません。

何より、その目線を手に入れてする普段の勉強は、宝探しみたいでちょっと面白くならないですか。

さらに、自由な発想が好きなあなたは、この「じぶんだったらどうする?」という問いの「正解はないから自由に答えてみて」って言われた時みたいなワクワク感を、正解がある問題の勉強に活かしてみましょう。

 

本日も出雲市の個別指導塾 すずかけの木へお越しいただきありがとうございました。
頭一つでテストすら楽しめるかも……しれない。